JR甲子園口駅より徒歩約15分、武庫川女子大学のキャンパスのひとつである上甲子園キャンパスのなかに、世界的な建築家、フランク・ロイド・ライトのまな弟子、遠藤新(あらた)(1881-1951年)の代表作で、昭和初期のホテルの趣が残る武庫川女子大甲子園会館(旧甲子園ホテル)があります。現在放送中のNHK連続テレビ小説「まんぷく」で、戦前、ヒロインが就職したホテルのロケ地として使われたことから、最近見学者が急増しているそうです。
甲子園会館は、普段は授業が行われているので、関係エリアへの立ち入りはできません。見学には事前手続きが必要です。詳しくは武庫川女子大学のホームページをご覧ください。なお、11月の予約は満員「札止め」だそうです。そこでこの建物について、写真付きで解説しようと思います。
甲子園会館は、1930年に関西屈指のリゾートホテルとして西宮市の武庫川沿いに甲子園ホテルとして竣工しました。周囲は西宮七園の一つ、甲子園地区の上甲子園地区。甲子園ホテルが開業した頃は緑豊かだったこの地域も、今は武庫川右岸の堤防に沿って邸宅の並ぶ高級住宅街となりましたが、その中でもひときわ目立つランドマークとなっています。
残念なことに太平洋戦争の激化によりホテルとして営業したのはわずか14年間だけでした。この間、皇族、閣僚をはじめ、文化人や海外の要人が宿泊。大リーガーのベーブ・ルースらも利用し、舞踏会では作曲家山田耕筰がオーケストラを指揮したといわれています。華麗でモダンな姿は「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び称されました。戦争のため1944年に国に接収され、海軍病院となりました。終戦後は、アメリカ進駐軍の将校宿舎として10年にわたって使われ、その後は旧大蔵省が管理。1965年「由緒ある建物を管理保存したい」と、学校法人「武庫川学院」が国から譲り受け、同学院甲子園会館と名付け、一部改修して教室として利用しはじめました。現在は大学の授業のほか、市民向けオープンカレッジとしても活用されています。
この建物は、2007年に国の近代化産業遺産に認定、2009年に国の登録有形文化財に登録されています。その他に2008年度には県の景観形成重要建造物に指定され、2013年度のDOCOMOMO JAPAN選定「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」にも選出されました。
1930年代の絵葉書から、ホテルとして使われていたときの姿が見られます。
展示資料の模型で全体像を把握しましょう。東西棟を中央棟で連結した構成になっており、東西棟には特徴的な寄棟・宝形造の屋根が4つずつ複雑に配置されています。東西のウィングそれぞれにホールと客室がありました。上の絵葉書の2枚目からわかりますように、南側には大きな池を中心とした池泉回遊式庭園があります。
まずは外観正面。2本の独特なデザインの塔がひときわ目立ちます。この塔は後述する暖炉のためのものだそうです。
次は南側の外観。
外壁は、日華石と素焼きタイルで覆われる、独自の意匠となっています。
屋根には織部色の瓦が使われています、頂点の棟飾りには昔、電気がついていたそうです。
建物の中も少しご紹介しましょう。圧巻は西ウィング棟にあるバンケットホール。
天井から吊り下がる飾りは、水滴のモチーフを精緻に積み重ねて立体的な厚みを持たせた、躍動感あふれるものに仕上がっています。ホールの光天井に市松格子の障子を用いて、洋風建築の中に巧みに日本風の要素を取り入れています。
レセプションルームにある暖炉。これまた水滴をイメージさせるモチーフが細かく石に彫り込まれています。
東ウィング棟のホールは、西ウィングとは全く異なるデザインになっています。貝殻の形をしたガラスシェードの照明がとても素敵です。西ウィングに比べると装飾はシンプルなものになっています。
この建物にはシンボルの打出の小槌のオーナメントがあちこちに配置されています、見学するときに探してみるのも面白いでしょう。
甲子園会館は戦前から映画やテレビのロケに使われてきました。最も古い例は開業後7年目の1937年の日独合作映画「新しき土」です。再生ボタンを押すと、南側の庭園を歩くシーンに飛びますが、その他にもホテルとして使われていたときの、様々な国からの客で活気あふれる様子が描き出されています。
参考
旧甲子園ホテル(武庫川女子大学甲子園会館)