ビクトリア・マリノバさん殺害事件はなぜ世界中に広まったか 作られた「調査報道記者の死」



ブルガリア北部の都市ルセで、同地のテレビ局で働くヴィクトリア・マリノヴァさんが暴行されて殺された事件から間もなく3週間が経ちます。ドイツで逮捕された容疑者はブルガリアへ移送され真相もほとんど明らかになりました。事件発生直後には日本も含めて世界中で報道関係者への暴力のような話で広まりました。なぜそうなったのか、マリノヴァさんの最後の仕事との関連で、まとめておきます。




    このサイトでのこの事件に関する記事はこちらです。



    働いていたテレビ局は離婚した前夫から引き継いだもの



    マリノヴァさんが働いていたルセの地方局は、彼女が最近離婚したときに元夫から経営を引き継いた事業だったそうです。外向的で、いつも人に共感を持って親切に接する性格だったマリノヴァさんは、経営だけでは満足せず、ご自身が番組の司会をするようになりました。最初のうちはライフスタイル関係の番組でしたが、殺害される直前に「ディテクター(発見器)」という調査報道番組を始めました。

    この番組の第1回目の放送(9月30日)の直後にマリノヴァさんは殺害されたのですが、このときインタビューで取り上げたのが、ブルガリアの調査報道サイトbivol.bgの記者たちが調べていた大手建設会社の欧州連合(EU) 予算絡みの汚職と当局によるもみ消し工作疑惑だったのです。調査の過程でジャーナリストが間違って警察に逮捕されたことでこの事件はブルガリ国外でも知られることになりました。

    ブルガリア国内でこの報道をしたのはマリノヴァさん1人ではなく、番組のインタビューも別の人が行っているのですが、マリノヴァさんが司会として番組の締めくくりに言ったセリフが印象的なものでした。


    マリノヴァさん最後のテレビ出演




    「ブルガリアの調査報道のあり方は矛盾に満ちています。政府や大企業が報道媒体のオーナーや関係者に圧力をかけています。多くの問題が次々とタブーにされていきます。調査報道は組織的に排除されています。それにもかかわらず、近年調査報道が成功する事例も出てきました。そのほとんどのものは、bivol.bgで公表されました。私達の番組は今後もこういった調査報道に発表の場を提供していきます。公共の利益に深く関わるものについては独自取材を行います。それが「ディテクター(発見器)」の意味です。この番組は嘘を発見し、真実を最優先します。」


    「ディテクター」の第2回目の放送のテーマもbivol.bgが追跡している汚職事件で、2016年にブルガリア・ヒトリヌで起きた貨物列車脱線炎上事故の補償金を鉄道会社とそのメインバンクが着服している、という話だったそうです。

    これだけでもマリノヴァさんの番組がbivol.bgのメガフォンのような役割を果たしていたように思えるのですが、どうやらマリノヴァさんが殺害された後、bivol.bgの関係者は事件を自分たちのPRに利用しようとしたようです。


    調査報道専門サイトbivol.bgが自己PRのために噂を拡散



    ブルガリアのジャーナリスト、ヤヴォル・ダシコフ氏によりますと、マリノヴァサン殺害事件と政府汚職報道を結びつけたのは、このbivol.bgの人たちのようです。同氏によりますと、bivol.bgの記者たちはマリノヴァさん殺害直後に、この事件は自分たちのイメージ向上にもってこいの機会だと考え、周囲にマリノヴァさんは自分たちにインタビューして放送したから殺されたのだ、という噂を流し始めたそうです。この「ニュース」はbivol.bg関係者の知り合いを通じて「国境なき記者団」に広められ、これを西側の報道機関がブルガリアのニュース源として後先構わず拡散したのです。「ブルガリアで調査報道記者が欧州連合(EU) 予算絡みの汚職を追っていて殺されたという、フェイクニュースが広まりました。この話に、来年5月の欧州議会議員選挙を控えた政治家が、自己PRの格好のチャンスとばかりに飛びついたのです。挙句の果てにはティンマーマンス欧州議会副議長が真実を求め汚職と戦って斃れた勇敢なブルガリア人女性に黙祷を捧げた、というフランス「フィガロ」紙の報道にまで至ったのです」、とダシコフ氏は解説しています。
    ダシコフ氏
    ダシコフ氏

    もっとも、「調査報道のゆえに殺された」という話には、マリノヴァさんを知る人たち、一緒に働いていた人たちは最初から懐疑的だったようで、彼女の前夫でTVNのディレクターであるマクシノフ氏はブルガリアのテレビ局の取材に対して「あらゆる証拠は、この事件は無意味で残酷な偶然の産物であることを示しています」、と語っていました。

    「フェイクニュース」というと体制派や右翼の専売特許のように思いがちですが、「真実」を追求する反体制派の調査報道記者も、自分たちに都合の良いときには真実に目をつぶって間違った噂を流す好例ともいえましょう。一つだけの報道源を無闇矢鱈に信用してはいけない戒めとなります。ただブルガリアで報道の自由が圧迫されているということは、この事件とは関係なく多くの人が指摘しています。


    参考